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上のツイートをしたら、「なぜ、どうしたらいいか分からなくなるのか」という質問を受けました。 あらためてこの写真を見てみます。 撮影:@rhinoeye様 この看板を出版物に置き換えてみます。学校長は著者、この看板を掲示した誰かが編集者ということにします。その編集者に校正者が校閲を依頼されたとしましょう(厳密には校閲者なので、以下「校閲者」と書きます)。 校閲者の立場で、ストレートに疑問を出すなら、「ゆるし」は「きょか?」、「がっこうのなか」は「がっこうない?」、「こうちょうせんせい」は「がっこうちょう?」と鉛筆で書きます。 ところが、ここまで自由奔放なルビだと、校閲者は迷います。歌謡曲などでよく見るように、「理由」を「わけ」と読ませたり、「女」に「おまえ」とルビを振ったり、そういう調子で書いたのだろうから、ここは著者の意向を尊重すべきなのかもしれない、と。 でもまだ迷います。ここはいやしくも学校で子供が見る看板なのだから、正しい読み方を教えるべきではないか。だとすればやはり、「きょか?」「がっこうない?」「がっこうちょう?」と疑問を出すべきではないか。 迷っていてもしょうがないので、こういう場合校閲者は編集者に探りを入れます。どの程度のレベルで疑問を入れるべきなのかを、会話でのニュアンスとかメールの文体などで判断します。 編集者がもし「私もこの著者のルビには困ってるんでガンガン疑問出しちゃってください」という感じだったら、容赦なく疑問を入れます(でもここで別の問題が生じることがあります。後述します)。 編集者からもし「この著者先生はアンタッチャブルなんでスルーしてください」と言われたら、疑問は入れません。漢字が間違えていないかとか脱字や衍字(えんじ)はないかとか、そういうところにポイントを絞って校閲します。 編集者の態度がはっきりしない場合は、「念のため疑問を入れておきますが、あくまでも念のためなので無視してください」などと書き添えたうえで、「きょか?」「がっこうない?」「がっこうちょう?」と鉛筆を入れます。校閲者の立場でそうするしかないのです。 つまり校閲者は、こういうルビに遭遇すると、本来集中すべき文章以外に、編集者の気持ちや著者の意向、著者と編集者との力関係などにまで注意を払わなければならなくなるわけです。「校正者(校閲者)がどうしたらいいか分からなくなるパターン」というのは、そういう意味です。 * * * さて、容赦なく疑問を入れた場合どうなるか、という問題です。編集者が校閲者の疑問を参照したうえで、著者とうまくコミュニケーションをとってくれれば、何も問題はありません。この自由奔放なルビのままでいくのか、それとも教育的見地から正しいルビを振り直すのか、それを決めるのは著者と編集者です。校閲者ではありません。 しかし、もし編集者が、校閲者が入れた疑問をそのまま著者に見せてしまったり、勝手に「きょか」「がっこうない」「がっこうちょう」というルビに直してしまったりすると、大変なことになります。著者が激怒します。 「『きょか』じゃ一年生は分からないだろ。だからわざと『ゆるし』にしたんだよ。勝手に直すなよ馬鹿。誰が直したんだ? 校閲者か? その校閲者連れてこい!」 ――といった話になりかねません。編集者がきちんと仕事(ここでいう「仕事」とは、校閲者が出した疑問を取捨選択したうえで著者に戻すことです)をしないと、こういうことになります。 実際にそういう話はあります。 著者は頭にきます。著者が頭にきているらしいことをどこかから聞きつけた校閲者はヘコみます。編集者は板挟みになってオロオロします。みんな不幸です。 校閲者はただ職務をまっとうしたかっただけなのに、《そう、ネットだ。ネットで偉そうに書いている連中だ。/実際パソコン中毒者にとって校正という仕事は天職だろう。/外に行かずに内にひきこもってパソコンをいじくり、人の間違いを発見し、ついでに偉そうな文章指導をし、それでお金をもらえるのだから。》などというトンチンカンな言いがかりを付けられてしまいます。 著者が書いたものを編集者が編集して、それを校閲者が校閲して、編集者はその校閲を見て取捨選択して、それを著者に差し戻して、著者はそれを参照して修正したりしなかったり……というシステムが正常に機能していれば、こういう不幸は避けられます。簡単なことです。 至極簡単なことのはずなのに、そのシステムが機能していない現場が増えているようで、なげかわしいかぎりです。でも、校閲者の側からもちゃんとしたコミュニケーションを取ろうと心がければ、たぶんこうした不幸は回避できます。全国の、いや世界の校閲者・校正者のみなさん、バッシングにめげず、がんばりましょう。 ※以下、2014年4月11日に追記 「実際にそういう話はあります。」の部分で「本の雑誌社および坪内祐三氏への質問と要望」という記事にリンクを張りましたが、後日談があるので、ここにまとめておきます。 ■坪内祐三氏の職業差別と本の雑誌社の姿勢について ■本作りについての雑感 ■[中間報告]本の雑誌社、坪内祐三氏からは今のところリアクションがありません ■[中間報告]本の雑誌社・浜本茂氏からメールが来ました ■本の雑誌社・浜本茂氏からの回答
by macondo
| 2014-03-20 13:10
| 本
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