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『コトバの切れ味とユウモア』という本がある。著者は大久保忠利。発行は春秋社。1958(昭和33)年刊。 読んでいないのでどんな中身かは知らない。大久保忠利さんという人は言語心理学者で、似たような本をたくさん書いている。 いま関心があるのは大久保忠利さんでもないし言語心理学でもない。題字である。「コトバの切れ味とユウモア」という文字が函の表面と背、本の表紙と背、トビラ――の5か所に印刷されている。これがすべて微妙に異なっている。つまり活字ではない。一字一字書きおこしている。この字がどれも切れ味があってユウモアがある。たまらない。 「装丁 難波淳郎」とあった。国立国会図書館のデータベースでその名を引くと、1960年から児童書の挿し絵を描き、その後画家として名を成したことがわかる。この本の装丁=書き文字は、下積み時代の、しかしまったく見事な仕事であった。 ※ 以下の写真をクリックすると拡大します #
by macondo
| 2017-02-05 16:30
| 本
この書庫に入ると思わぬ本に出会えます。どんな本を持ってるのか忘れているからです。家の庭に古本屋(すべて無料)があるような贅沢。 だから1日1回は書庫に入ることにしました。そのためには何かしら目的が必要である。そこで、Instagramで「#稲葉修探検」というタグを付けて、読んだ読まないにかかわらず、本(書影)を紹介することにしました。 ■なるべく古い本。原則として2000年以降の発行の本は不採用 ■見栄えのする本 ■書誌情報には印刷会社を明記する(会社名がわからない場合は印刷者、それもわからない場合は省略) ■1日1冊~3冊 ■うるさくなりそうなのでTwitterやFacebookにはシェアしない 実は書庫に行くのが面倒になって家の中で撮影をすませてしまうこともあったりするのですが、上のようなルールをゆるく守りながら、今後も続けてゆこうと思う所存。 #
by macondo
| 2017-02-01 03:14
| 稲葉修
東京都杉並区の荻窪に、2016年1月、Title(タイトル)という新刊書店がオープンした。初めてこの店を訪れたとき、「懐かしい」というほどでもないが、しかしたしかな既視感があった。初めてではないような感覚。 辻山良雄著『本屋、はじめました――新刊書店Title開業の記録』(苦楽堂)を読んで答えを知った。Titleの内装工事を手がけたのは、三鷹の古本屋・水中(すいちゅう)書店や、国分寺の古本屋・雲波(うんぱ。現在は休業中。今年2月に再開店の予定)の内装を手がけた中村敦夫さん(フォレストピア)であった。水中書店も雲波もなじみのある店だ。Titleは中村敦夫さんが内装を手がけたという点で共通点を持つ、いわばイトコのような店なのであった(中村敦夫さんと雲波の内装工事についてはトマソン社の『BOOK5』13号に詳しい)。 このTitleには拙著『沖縄本礼賛』(ボーダーインク)の在庫がある。沖縄県産本だから沖縄県内の本屋ならたいていどこにでもある(らしい)が、ヤマトの本屋となるとジュンク堂や三省堂、東京堂書店といった大型書店に行かないと買うのが難しい。紀伊國屋書店では売っていない。こんな小さな本屋に置いてあるのはきわめて珍しいことなのだ。このくらいの規模の本屋では、私の知る範囲ではほかには新宿の模索舎だけ。開店から置いてくださっているらしく、しかもいまのところまだ返品されていない。 以上、自慢である。 さて、『本屋、はじめました』は、まずエッセイである。辻山さんのおいたち、リブロでの日々、退職して本屋開業を計画し、Titleをオープンして軌道に乗せるまでが読みやすい文章でつづられる。 だからエッセイの形を借りたノンフィクションとしても読める。ケレンミなく時系列に沿って淡々と語られるから、読者は辻山良雄という人のアウトラインをこの本で知ることができるだろう。 巻末に京都・誠光社店主、堀部篤史氏との対談が収められていて、ここで辻山さんはこう語っている。〈(本屋を)やるにあたって具体的なビジョン、細かいディテールがないような人は駄目なんじゃないでしょうか。お店って《略》ディテールの積み重ねで空気感が滲み出てくるところがあるので。〉 そのディテールを気前良く披露したのが本書のもうひとつの姿だ。どんなレジをどんな理由で導入したのか、ウェブショップを運営するにあたりどんなことに気をつけたのか、ウェブサイト内の「ACCESS」の重要性、取次への発注についてのあれやこれや、そしてなにより棚づくりのノウハウなど、多くの具体例が丁寧に解説される。だからビジネス書であり実用書でもある。Twitterの活用法は新刊書店・古書店を問わず大いに参考になるだろう。巻末の事業計画書はそのまま教科書に使えそうだ。 もちろんいろんな幸運もあったとは思うが、運が良いだけでTitleは成功したのではない。背景には緻密な計算ときめ細やかな段取りがあったわけだ。そのことが本書を読めばくっきり鮮明に理解できる。 それにしても、あの本屋ほどiPadのレジが似合う店をほかに知らない(別の業種でかまわなければバニトイベーグル国分寺店もiPadのレジがよくなじんでいる。このたいへんおいしいベーグル屋のすぐそばに前述の「雲波」がある)。 店名の表記についてのこだわりも印象的だ。ふたたび引用する。〈アルファベット表記で大文字の「TITLE」は重たい。「Title」のほうが、後ろが軽く、縦の棒が長く短く並んでいるのがかわいい。〉 縦の棒が長く短く並んでいるのは実に校正者泣かせなのだが、たしかにかわいい。〈かわいい〉という言葉が突然出てくることもちょっとかわいい。 ブックカバーのこだわり(あるいは妥協)についても詳しく述べられている。Titleは藁半紙に店のロゴを捺印したものを採用している。それに決まるまでの経緯を述べるくだりで、いまはなき吉祥寺トムズボックスの土井氏がレシートにスタンプを押していたという挿話がある。昨年亡くなった雲波の初代の主人、佐藤さんも同じようにしてくれたものだった。 ――ここまでで5回も「雲波」と書いている。『本屋、はじめました』を読んでいたらちょくちょく雲波を思わずにはいられなかったのだ。この本を大切に思う根拠でもあるし、このブログのタイトルを「個人的」とした理由のひとつでもある(もうひとつの理由はもちろん拙著が置いてあることの稀少性とそのことへの感謝だ)。 辻山さんの鋭い観察眼にも触れないわけにはいかない。この本は基本的に終始きわめておだやかなトーンで語られる。辻山さんとそれほど親しいわけではないが、これは辻山さんのおだやかな人柄がそのまま出たのだろうと思う。しかし、ときどきはっとする毒舌が飛びだす。これがいい味を出している。これもまた辻山さんの顔なのだろうと想像する。具体例をいくつか挙げよう。 本屋をどこにつくるか選ぶにあたって、ある街は〈少しお金がないと居づらそうな雰囲気、コミュニティが狭そうに見え、そこに入ってしまうまでが少し時間がかかりそうに感じられました。着慣れない服をずっと無理して着ていないといけない感じ〉だから却下した。 「金太郎飴書店」にはしたくないと前置きしたうえで、〈いわゆる「セレクト書店」というものにも抵抗がありました。《略》最近ではその品ぞろえが似てくる傾向にあり、新しい店なのだけれど既視感が強い店が増えてきたようにも思います。〉とチクリ。 〈多くのブックカフェがいつの間にか、「本の置いてあるカフェ」になっているのを見るにつけても、そうなりたくはないと思っていました。〉と、またチクリ。 開店日を日曜日にした、いくつかある理由のひとつとして、〈書店のオープン日には、スーツを着た取引先関係者が挨拶に来る《略》どうもそれが好きではなく、特にこうした街なかの小さな店でスーツの人がたくさんいても違和感があるな……《略》そうした人が来ない休日〉と、やんわりチクリ。 ちなみにそのすぐあとには〈Titleにいちばん来ない客層は、丸の内に勤めていそうなビジネスパーソンです〉という文章が、丸カッコに囲まれた少し小さな文字で書いてある。 この毒、あるいは棘――というのが言い過ぎならスパイス――がなかったら、この本の魅力はずいぶんと減って、奥行きを欠いていただろう。控えめで上品な批評精神の発露と言い換えてもいいかもしれない。 さて、引用したい箇所はほかにもある。店のロゴの色――Titleを知っている方にはおなじみのあの青(サックスブルーという)――を決めた際の理由がこう語られる。〈明るい青のなかにもグレーが混じっているのは、人の考えを取り扱う本屋という場所には落ち着いてよい感じがします。〉 読み流してしまいそうだが、〈人の考えを取り扱う〉というのは深い深い言葉である。あの本屋は、たしかに人の考えを取り扱っている雰囲気がある。ロゴを見る目が変わりそうだ。 Titleでは「切実な本」が売れる、という言葉もまた深い。私の印象にすぎないが、SNSなどで見るかぎり、Titleを好むお客さんは、みなある種の切実さを抱えているように思う。私もけっこう切実である。 そして私が最も気に入ったのは、〈思うに、本屋に来て面白い本と出合うには、まず置いてある本に触れてみることです。〉から始まり、〈自分が本当に求めている本が、すぐにこれだとわかるようになります。〉までの8行だ。筆写したくなるほど美しい名文である。我が意を得たり、という思いも実はある。本はコンテンツである前に、まずモノなのだ。(すべては引用しないので、ぜひご自分でたしかめてみてください。) 再び巻末の対談から引用する。〈自分は、この本[引用者注:『本屋、はじめました』のこと]が「本屋ってすごくいいから、みんなもやってみなよ!」って書いていると思われるのがいちばん嫌なんですよ(笑)。〉 この点では私は嫌がられそうにない。本書を通読して「私にはとても本屋の経営なんて無理。客がいい」と思ったからだ。 巻末といえば、索引を付けたのがすばらしい。書名、著者名がたくさんが出てくる本だからありがたい。こうした本に索引が付くのは非常に珍しく、これはひとえに編集者の手柄と手腕と努力によるものだろう。 原拓郎氏による装幀は美しく、よく手になじむ造本。吉野有里子氏の切り絵による装画もTitleの様子を楽しく描いている。カバーを外すと……これは本を買ってご覧になっていただくしかない。こういう遊びができるのも「モノ」として本ならでは。また、奥付に使用フォントや用紙が記載されているのもたいへん好感が持てる。 以上縷々述べたように、Titleという本屋が丁寧につくられ運営されているのと同じように、本書もまた丁寧に読者思いにつくられている。 ここで冒頭の自慢のつづき。そういう魅力的な本の著者が経営する魅力的な本屋に自分の本が置いてあることを心の底から誇りに思う。ありがたく思う。Titleの在庫は約1万冊だという。辻山良雄セレクション・ベスト10000にランクインしているわけだ。新書判で薄い本だから場所をとらず、まあ急いで返品しなくてもいいか、という判断かもしれないけれど。 #
by macondo
| 2017-01-20 02:52
| 本
大きな書店に行くと、書店員が出版社の営業担当らしき人物と立ち話をしている光景をよく見かける。大きな書店ならべつにかまわない。見つからない本があればほかの店員に訊けばいいし、レジの担当はまたべつにいる。邪魔と言えば邪魔だけど。なんで事務所とかで話をしないんだろう。不思議でしょうがない。でもまあ、大型書店は規模に比例して多くのスタッフがいる。 小さい本屋だと事情が異なる。 ある本屋の店主が本を出した。その本屋の評判がすこぶるいいのと同じように、その著書もまたたいへん評判がいい。その本を買いにいった。小さな店で、店番は店主ひとりでやっている。 評判のいいその小さな本屋に行ったら、レジの前にパリッとしたスーツを着た二人の男がいた。出版社の営業担当風である(以下、「出版社営業風パリパリスーツ二人組」と呼ぶことにする)。ひとりは四十代か五十代、もうひとりは二十代か三十代というところか。絵に描いたような上司と部下。でもここでは年齢は関係ない。役職にも上下関係にも興味がない。もし出版社の営業担当ならば、どこの出版社なのかは非常に知りたいところだけど。 本屋の店主はかつて大型書店に勤めていたから、その頃からの顔見知りなのかもしれない。出版社営業風パリパリスーツ二人組は親しげに店主と話している。それは大型書店で目撃する出版社の営業担当的人物を見るようだった。ただしここは大型書店にあらず。本を買おうとしても、その出版社営業風パリパリスーツ二人組がレジの前に陣取っていて邪魔だから買えない。 店内には私と出版社営業風パリパリスーツ二人組のほかに三人のお客さんがいた。想像するに、三人とも店主の著書を買いにきたように思う。平台に積まれたその本を手にとって、でもレジに行けそうにないからいったん台に戻したのだが、そのときにピシリと揃えた。べつの本を見て、また平台の店主の著書に視線を戻すと、上の三冊くらいが少し乱れて積まれていたのである。だれかが手にとったわけだ。 ひとりの女性がレジのほうをちらっと見た。私はといえば、〈あんたがた邪魔っすよ〉という念をこめてちょいちょい視線を出版社営業風パリパリスーツ二人組に飛ばしていた。 本を買おうとしている客が複数いて、しかし雑談をやめない出版社営業風パリパリスーツ二人組のおかげでその客が本を買うことができないでいるという状況に、店主はとうぜん気がついていたはずだ。おそらく出版社営業風パリパリスーツ二人組は邪険にできない相手だったのだろう。 出版社営業風パリパリスーツ二人組だって、狭い店内に客がいて、レジがひとつしかなくて、店番がひとりしかいないのはわかっているはずだろう……というのはどうやら私の思い込みであったことを後で知ることになる。 〈そこどいて〉という視線を送っているのに出版社営業風パリパリスーツ二人組はいっこうに気づいてくれない。話が終わりそうにないし、待っているのが面倒くさくなったので、レジに近づき、二人の間に割って入り、〈邪魔だなあ〉という気持ちをこめて、できるだけ鋭い目付きで二人に素早く目配せしたあと、店主に「これ、お願いします」と声をかけた。 出版社営業風パリパリスーツ二人組はここできっと己の無礼をさとり、謝るのだろうなと思った。 本屋にかぎらず、もしなにかの店で、店員さんと仲良しで、雑談をして、そのせいでだれかが正しいサービスを受けられていないことに気がついたら、私は謝る。だれだってそうだろう。それが常識だと思うから、ここは謝ってくるのだろうと思った。 ところがこの二人は――。少し憮然とした表情で「三人で話してるのに……取り込み中なのに……なに?」みたいな顔でこちらを見た。 〈そうか、この二人、馬鹿なんだ。自分たちがほかの客から顰蹙を買ってることにまったく気づいてないんだ〉と、ここでやっと理解したのであった。 ちょっと睨んでも、もともと悪いことをしているという意識・罪悪感がゼロだから、〈なんだろうこの目付きの悪い人〉みたいな表情で、口は半開きで、ポカーンとしている。しかも二人とも。スーツはパリッとしているのに顔つきはゆるい。呆けている。まったく始末が悪い。勤め先を知りたいものだ。 店主にサインをお願いした。驚いたことに、出版社営業風パリパリスーツ二人組は、その様子を私のすぐ近くで見ていた。〈早くどかないかなあ、まだ話があるんだけどなあ〉と言いたげな風情である。お前らがどけってば。 サインをもらいながら店主とちょっとした雑談をしているうちに、やっと出版社営業風パリパリスーツ二人組はレジを離れて二手に分かれ、店内の本を手にとってパラパラとめくりはじめた。それでよし。ここ、本屋なんだから。 あまり長く話し込むと出版社営業風パリパリスーツ二人組と同等レベルの馬鹿になり下がってしまうので、手短に話をすませた。レジから離れて店を出ようとしたとき、出版社営業風パリパリスーツ二人組の会話がかすかに耳に入った。「じゃあこれ買って、ご挨拶して、そろそろ……」云々。帰れ帰れ。客がいるんだよ。主な目的が雑談ではなく本の購入であろう客が複数いるんだよ。見えないのか。そろそろじゃなくてすぐ帰れ。 あの狭い空間で、自分たち二人が店主と客との間をさえぎっていることに気づかないというのはなかなかすごい神経だ。見習おうとは思わないけど。 あるいは気づいていたのかもしれない。充分に気づいていながらレジの前に立ち、話を続けていたのかもしれない。それならそれでずいぶんと図太い神経だ。うらやましくもなんともないけど。 あのくらいの無神経さ、あるいは神経の図太さを持って、常日頃から傍若無人に振る舞っていると、パリッとした上等なスーツを着られるようになるのかもしれない。それとも、パリッとした上等なスーツを着て二人一組になると人は駄目になるのかもしれない――などということを考えながら、その小さな本屋を出たのでありました。 私はめったにスーツを着ないけど、もしパリッとしたスーツを着ることがあったら、心も立ち居振る舞いもパリッとしたいものだ。 #
by macondo
| 2017-01-13 20:23
| ヘイ!ニーセーター
調べものをしに図書館へ行って、時間があまったのでぼんやりと個人文学全集の棚で背表紙をながめていた。その棚の前がいちばん閑散としていたからである。嗚呼日本文学よどこへゆく。 花田清輝全集の背表紙の題字がすばらしかった。これは一冊持っておきたいものだ。 さて、私はふだん精興社明朝がどうのこうのとわめき散らしていながら、そのじつ書体やフォントにはさほど詳しくなくて、ひらがなを見て精興社か否かがわかる、という程度のものである。三陽社明朝もわかる。でもいわゆる“絶対フォント感”なんてのはとても持っていない。 だがしかし、「梶井基次郎全集」という文字には、漢字だけであったのにもかかわらずピンときた。これは精興社だと。 本を開いたら果たして正解であった。全三巻のうちの第一巻の奥付には「昭和四十一年四月二十日発行」「印刷社 白井倉之助」「印刷 株式会社 精興社」と書いてあった。面倒だから新しい字体で入力してしまったが、実物は恭しくそして威風堂々とした正字である。精興社の「興」は、これは現行の出版物でも同じだが、中央の「口」が「コ」になった一画少ない「興」の字である。発行は筑摩書房。 漢字だけで精興社明朝であることを見抜いた自分へのご褒美として、古本屋で第一巻を買った。活版印刷である。版面がぼこぼこしすぎていない上品で丁寧な印刷である。精興社の組版である。布表紙で、なに色と呼ぶのだろうか、柿色を深くしたような上品な色。見て美しく、触りがいがある。撫でがいがある。においもいい。 この本は、見る・触る・撫でる・においをかぐといった楽しみ方ができる逸品であるうえに、なんと小説が読めるという特長がある。梶井基次郎の代表作である「檸檬」や「檸檬」や「檸檬」、そして「檸檬」などが読める、うれしい特典付きなのである。 収録作品を東京都立図書館のデータベースから収録作品をコピー&ペーストしてみよう。 内容:作品 檸檬.城のある町にて.泥濘.路上.橡の花.過古.雪後.ある心の風景.Kの昇天.冬の日.蒼穹.筧の話.楽器的幻覚.冬の蝿.ある崖上の感情.桜の樹の下には.愛撫.闇の絵巻.交尾.のんきな患者 習作 詩二つ.小さき良心.不幸.卑怯者.大蒜.彷徨.裸像を盗む男.鼠.カッフェ-・ラ-ヴェン.母親.奎吉.矛盾の様な真実.瀬戸内海の夜.帰宅前後.太郎と街.瀬山の話.夕凪橋の狸.貧しい生活より.犬を売る露店.雪の日.汽車 その他.凧.河岸 一幕.攀ぢ登る男 一幕 編者註(淀野隆三) 後記 「檸檬」だけではなかった。楽しみである。 #
by macondo
| 2017-01-11 05:17
| 本
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