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妻はマルチ商法にも新興宗教にも自己啓発にも投資にもまるで興味 そして改元。新しい元号の発表(2019年4月1日)から改元(同5月1日)、そして本日(同5月6日)にいたるまで、 #
by macondo
| 2019-05-06 10:26
夏目漱石のあまたある全集のうちどれを買うのが正解か、という問題がある。 「一番新しいものが一番良い」と考えるなら、迷わず現在刊行中の『定本 漱石全集』(岩波書店)である。全28巻+別巻1の計29冊。2016年末に配本が始まった。完結は2019年の見込み。 ところがそう簡単にゆかないのが書物の妙。多くの人が推すのが同じく岩波のいわゆる〈菊判全集〉だ。この呼び方は俗称で、岩波書店の他の漱石全集が四六判だったり新書判だったりすることからこう呼ばれることになったのだと思う。 現行の『定本~』と菊判全集とを比較してみよう。 判型(サイズ) 定本:四六判 菊判:菊判(四六判より大きい) 表紙の素材 定本:紙 菊判:布★ かなづかい *これは共通 定本:旧かな(歴史的かなづかい) 菊判: 〃 字体 定本:新字 菊判:旧字(正字)★ 本文書体 定本:わかりません(精興社明朝ではない何か) 菊判:精興社明朝★ 本文のサイズ 定本:菊判より大きい 菊判:定本より小さい 印刷方法 定本:オフセット印刷 菊判:活版印刷★ ★を付けたところに注目。もう説明はいらないはずである。 さて、前述のとおり『定本~』は全28巻+別巻1の計29冊である。では菊判全集は何冊か。これがそのブログの主題である。実は正しい答えがない。 以下は『漱石全集物語』(矢口進也著、岩波現代文庫)、手持ちの菊判全集、国立国会図書館のデータベースなどを参照しながら書く。 菊判全集はもともと大正年間に刊行された。しかも三度刊行されて、第一次(1917-18)は全13巻と別冊で計14冊、第二次(1919-20)も同じ構成(ただし内容は若干の増補)、第三次(1924-25)もやはり同じ全14冊だが内容が大幅に増補。紙質も良くなり、また本文活字も新しくなった。 現在古本屋などで簡単に手に入る昭和の〈菊判全集〉は、大正期に出た菊判漱石全集を復元するというコンセプトのもとに発行されたらしい。そして昭和の菊判全集もまた三度にわたり刊行された。大正期菊判全集はいずれも全14冊だったが、昭和期菊判全集は刊行のたびに1冊ないし2冊ずつ増えて、そのため後世の古本好きを混乱させることになった。「菊判全集は何冊か、実は正しい答えがない」と書いたゆえんである。このようなブログも書かれることとなる。 昭和の菊判全集(第一次)は1965年に配本が始まった。67年に完結。全16巻(16冊)。本文の印刷は精興社(大正菊判全集は三秀舎)。書体は精興社明朝。各巻に月報が付いた。 第二次は1974年に刊行が始まり、76年に完結した。〈まったく新しい全集〉ではなくて、第一次の増補重版だった。「索引」の巻が加わり全17巻に増えた。さらに、1928年および1935年に岩波書店から出た漱石全集の月報を集めて1冊の本として附録(書名は『漱石全集 月報 昭和三年版 昭和十年版』)とした。したがって全17巻+附録で全18冊である。 第三次は1984年から86年にかけて刊行。ここでは第18巻「補遺」が追加された。そして各巻に月報を付けるのをやめた代わりに、第一次(1965-67)の月報を合本して予約者に配布した。 ――と、大変ややこしい。古本屋が「漱石全集 全16巻」と書いて売り出しても、それが1965-67のものなら間違いではない。「17巻も18巻もあるじゃないか。なにが『全』だ」と文句を言っても、1967年の時点で考えれば菊判漱石全集は全部で16巻(16冊)である。 もし全16巻版(月俸揃い)を買ったあなたが菊判漱石全集をコンプリートしようとしたら、第17巻と18巻、それに附録の月報巻(『漱石全集 月報 昭和三年版 昭和十年版』)を別途探さなければならない。 〈岩波菊判漱石全集は全部で19冊〉がとりあえず正しい。もし昭和第三次菊判全集でつくられた昭和第一次月報の合本も加えるなら20冊。 * 実は私は、ここまで書いたようなことは知らずに、でも菊判の漱石全集が精興社明朝の活版印刷だということだけは知っていたから、〈全16巻揃い〉のものが破格の値段で売っていたのを買った。大満足していた。知らぬが仏である。 その後に岩波現代文庫から『漱石全集物語』が出た。いろいろ興味深いことが書いてあった。「探求本がずいぶん増えたなあ」とため息をついたものだった。 持っていない17巻、18巻、附録の3冊を探す旅は過酷だった。もともとセットで売られるものだから単品ではなかなか出ない。最近ようやくすべて揃った。全部で19冊。漱石は中学生の頃に新潮文庫の『坊っちゃん』を読んで、『猫』はどこかの文庫で10ページくらいで挫折して、あとは小品をほんの少々拾い読みしたことがあるくらいだから、実質なにも読んでないに等しい。実は岩波書店の新書判漱石全集全35巻も20年ほどに前に買って、函から出すこともなくきれいに並んでいる。これでやっと落ち着いて読むことができる。 ※ 記事中に誤りがありましたらお知らせいただけると幸いです。 #
by macondo
| 2018-03-10 13:14
| 本
ブラック企業とかホワイト企業とかいう言葉を使わないようにしている。会話の流れなどでどうしても使わなければならなくなったら「嫌いな言葉だけどいわゆるブラック企業」のように言う。 悪徳とか阿漕とか卑劣とかたくさんの日本語があるのに、なぜ悪いものが黒くて善いものは白いのか。これだけ(少なくともなんとなく表面的には)人権意識が高まっているのに、なぜなのか。漢字を書くのが面倒ならアクトクとかアコギとかヒレツとか書けばすむのではないか。 【追記】 使ったことがないわけではありません。例えばこういうふうに↓ https://twitter.com/__tetsu__/status/532154871500140545 あるときから「悪いものをブラックと表現するのはやめよう」と思って現在にいたります。 #
by macondo
| 2017-11-21 12:02
大好きな書き手が新刊を出した。本当に本当に楽しみにしていたからむさぼるように……読めないのであった、これが、困ったことに。 理由ははっきりしている。本文書体である。とにかく気持ちの悪い書体で、特に「た」「だ」、「な」、そして「ひ」「び」「ぴ」の字の造作の悪さと言ったらない。じくが歪んでいる。これらの字が出てくるたびに目が引っかかり、だから内容が頭に入ってこない。 もっとも「た」「だ」「な」はよく出てくる文字だから、しばらく我慢してくると目が慣れてくる。そのうちに“引っかかり”は起こさなくなる(ただし翌日はまた、引っかかる→しばらく読んで目を慣らす、を繰り返す必要がある)。 問題は「ひ」「び」「ぴ」。あまり出てこないから、久しぶりに出てくると確実に“引っかかり”を起こす。気が散る。 どう見ても設計ミスとしか思えないのだが、なぜかこの書体、たいへん評判が良い。とても名指しでは悪口を言えない。いや悪口を言ってもいいのかもしれないんだけど、悪口を言ってはいけない妙な雰囲気がつくられているような気がする。 同じようなことは出版社とか書店とか作家とかにもあって、この出版社(あるいは書店、あるいは作家)だけは悪口を言えない(どれだけ調べても誰も悪口を言っていない)という空気ができてしまっていることがちょいちょいある。 それはまあともかく、「ひ」「び」「ぴ」を克服しないと本が読めない。なんとかしなければならない。いっそ文庫になるのを待つとか、全集が出るのを待つとか、そういう選択肢さえ考えてしまうほど、「た」「だ」「な」「ひ」「び」「ぴ」が無残なのである。 こういうことを書けば、つまり、名指しはせずともとりあえず表に吐き出せば、「ひ」「び」「ぴ」を克服できるかもしれないという期待をここに込めた。 #
by macondo
| 2017-08-05 23:05
| 本
内田百閒(1889~1971)は旧字旧仮名で文章を書いた。旧字旧仮名を頑固に貫いたと言ってもいいだろう。百閒の著作権管理者になった小説家中村武志(1909~1992)は、文庫にかぎり、新字新仮名を採用することにきめた。苦渋の決断だったはずだ。 内田百閒『先生根性』(福武文庫、1990)というアンソロジーがあって、ジャケットに刷られた内容説明には「百閒文学を初めて現代かなづかいにしたアンソロジー」とある。本をめくると、最初に《内田百閒の作品を新漢字、新仮名づかいにするについて》という編者中村武志の文章が載っている。 ふつうなら本の終わりに「便宜を図り新字新仮名に改めました」とでも書いておけば済むところである。実際にそのような本が多い。それがここでは、39字詰×16行を費やしている。しかも巻頭に置いた。これが表記をあらためる際の書き手への最低の礼儀だと編者中村武志は思ったのだろう。その誠実な姿勢を心の底から支持し、尊敬する。「霊界で師にお目にかかることを得れば、まず新漢字、新仮名づかいに勝手になおしたことをお詫びし、ひたすらにお許しを乞うつもり」とまで言っているのである。 良い文章にはえてして美しさとユーモアが自然に同居している。これもまた例外ではない。そんなわけで、その《内田百閒の作品を新漢字、新仮名づかいにするについて》を全文引き写してみる。習字でお手本を真似るように。 * * * 内田百閒の作品を新漢字、新仮名づかいにするについて わが師内田百閒は、昭和四十六年四月二十日、八十二歳で死去されるまで、ご存じのように、旧漢字、旧仮名づかいを厳として固守されて来た。中年以上の読者の方ばかりでなく、中、高校生までも、絶品ともいうべき百閒文学に魅力に牽かれて、今まで旧仮名づかいの作を愛読して来た。 一九八九年は、百閒の生誕百年であった。これを機にして、著作権者の遺族に乞うて、文庫にかぎり、新漢字、新仮名づかいにしていただいた。ただし特殊なまたは一部の漢字だけは、百閒文章の特異性、内容、雰囲気、その機微を損ねまいとして残し、ルビをつけた。 遺族の方ばかりでなく、不肖の弟子の私とても、生前の師を思えば、旧漢字、旧仮名づかいを守り抜きたい気持である。しかし、戦後の漢字、仮名づかいの変遷は急速であって、それに馴れた青少年の人たちにも、できるだけ多く百閒独特の名作に接していただきたいのである。 私は、百閒の名文はもちろん、錬金術、酒豪さえ引き継ぐことができなかった。それゆえ師を越えることができるのは、八十三歳まで生きることしかない。 幸いにして、霊界で師にお目にかかることを得れば、まず新漢字、新仮名づかいに勝手になおしたことをお詫びし、ひたすらにお許しを乞うつもりである。 編者 中村武志 * * * 引用は以上。ちなみに中村武志は、この本が出た2年後の1992年12月に亡くなった。「八十三歳まで生き」たことになる。 #
by macondo
| 2017-07-02 20:04
| 本
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